表郷小学校

2022年4月の記事一覧

子育てのヒント

 授業参観が中止になり、当日、懇談会の折に、校長よりお話しする予定だった内容を載せます。どうぞ子育ての参考にしてください。

(前略)長く教師という仕事をやってきて、今、改めて思うことは、この仕事は、自分一人では何もできないということです。私たち学校の教職員は、学校に来る子どもたちがいるから、この仕事ができるのです。そして、そうやって学校にお子さんを送り出してくれるお家の方々がいるから、この仕事ができるのです。だから、保護者の皆様に感謝なんです。子どもたちに感謝なんです。そして、そういう子どもたちを、みんなで協力して、みんなで関わって、教育を施すわけですから、この表郷小学校で、共に働く仲間の先生方にも感謝なんです。子どもと保護者の皆様と、そして、同僚の先生方と、感謝感謝で仕事ができるのです。

 さて、保護者の皆様は、お子様の子育てでいろいろとご苦労をされていませんか。かく言う私も、一人の保護者として思うのですが、子育てについて、マニュアルも教科書もありません。だから、これでいいのかという自信がもてないと思うのです。でも、なぜ、子育てにマニュアルはないのか。たぶん、お子さん一人一人が違うからです。表郷小学校293名の子どもたちには、293通りの子育てが存在するのだと思います。では、何か、ヒントはないのか。

 以前、諸富祥彦(もろとみ よしひこ)さんという心理学者で教育学の教授の方が、子育ての講演会で、次のような話をされていました。その中に、子育てのヒントがあるかもしれませんので、ちょっと紹介します。▼「子育ては・・・なるようにしかならない。まさに、子育ては運。いつ、いかなる時に、子どもがよくもわるくも変わるかは、正直誰にもわからない。ただ、言えることは、なるようにしかならないということ。これは、言い換えると、なるようになることが大事。つまり、親の立場から言えば、親が子どもの成長を邪魔しないことが一番。それは、親として子どもに『してはいけないこと』をしないこと。

 子どもの成長にとって、一番大事なことは、親の心が安定していること。だから、してはいけないことの一つ目は、「イライラ、カリカリを子どもにぶつけないこと」。もし、いらいらしてきたら、親の方が子どもから一歩引く。場合によっては、子どもから離れること。そして、場所を変え、イライラカリカリを解消してくる。いらいらして、子どもと対等にやり合うということは、親が「子ども」と同じ立場になっているということ。親は、「大人」なのだから、「子ども」になってはいけない。 してはいけないことの二つ目は、「否定的なことを言わないこと」。何やってるの、ダメなんだから、馬鹿、しょうがない等の否定的なことを言われ続けた子どもは、自分自身そういう子なんだと受け止めてしまう。そうではなく、肯定的なことを子どもには言うことが大事。さすが、いいね、じょうずだね、大丈夫、きっとできるよ、ここまでできたね、すごいね等。

 してはいけないことの三つ目、「兄弟と比較しないこと」。全くおまえはダメなんだから、等と比較されて否定的なことを言われた子どもは、自分に自信を持てない子になる。だから、全ての子に「自分が一番愛されている」と感じさせることが大事。

 これら、してはいけないことを親はしないこと。そして、子どもがどんな悩みも打ち明けられる親になること。そのためには、親自身が、人間的に成長することが大切。それは、本気で生きている姿や深く自分を見つめる姿を、子どもに見せること。親が子どもに本気で仕事に打ち込み、深く自分を見つめ、悩み、それでも前に進もうとする姿を見せること。」

 

 

 

授業参観、お世話になります。(LIVE No.6より)

 4/25(月)授業参観を行います。すでに日程等はプリントでお知らせしましたが、感染対策にご協力をいただき、ご参加くださいますよう、お願いいたします。

 授業参観 13:20~14:05 全学級
       前半:13:20~13:40
       後半:13:45~14:05
 前後半とも、20分ずつの参観となります。短い時間で申し訳ございませんが、お子さんの頑張っている姿を見にお出でください。

 児童下校 14:10(スクールバス14:20)
 この後の懇談会等に残るために、お子さんを預かってほしい場合は、食堂にてお子さんを待たせます。

 学年懇談会 14:20~15:00 各主任の教室
 会の最初の時間に、オンラインで、PTA会長さんよりごあいさつ、続いて校長よりお話しさせて頂きます。

 PTA合同役員会 15:15~16:00 各指定教室
           各委員になられている方々、お世話になります。

 PTA全体会 16:05~16:30 食堂
         本部役員並びに各委員会委員長のみで行います。

ツバメに思う(LIVE No.6より)

 今、学校の敷地内を、盛んに飛び交っているのが、ツバメです。校舎のあちこちで巣作りも始まっています。人の姿を見ると飛び立つのですが、近くのロープなどに止まって、しきりに鳴いています。ツバメは、昔から農作物の害虫を食べてくれる益鳥として、農家の人たちには大切されてきました。

 私は、ツバメというと、次の二つの作品を思い出します。
 一つは、オスカー・ワイルドの書いた短編で「幸福な王子」というお話です。ある町の公園の中央に、高い台座に立っている、とてもきらびやかな王子の像がありました。全身を金箔やたくさんの宝石で飾られたその像は、人々から「幸福な王子」と呼ばれていました。ある夜、この王子像で休もうと飛んできた1羽のツバメに、王子が話しかけました。「あそこの食べ物に困っている家族に、宝石を届けてくれないか。」ツバメは、言われるままに、王子の剣についていたサファイヤをくちばしで外し、その貧しい家族の家に届けてあげるのでした。そうして、毎夜毎夜、王子の目に映る、貧しい生活をして困っている人たちに、王子はツバメに頼んで体中の金箔や宝石を全て届けてあげたのでした。その結果、ただの薄汚い石の像となった王子像は、台から下ろされ、壊されていまいました。その傍らには、最後まで王子の願いを叶えた結果、暖かい南の国へ渡る時期を逃し、寒さで凍え死んだツバメがいました・・・。その様子を天界からみていた神様は、天使を使いに出しました。地上に降りてきた天使は、王子の鉛の心臓とツバメの亡きがらを抱いて、また天に帰っていったのでした。
 私は、子どもの時、この話を絵本で読んで、この王子とツバメの行為に驚き、そして、自分のことより相手のことを考えた行動の美しさを知りました。

 二つは、斎藤茂吉が詠んだ短歌の作品です。
 「のど赤き 玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にいて
           足乳根(たらちね)の母は 死にたまふなり」
 茂吉の故郷は、今の山形県上山市。その故郷に住む母親が危篤だという知らせが、東京に住んでいた茂吉に届きました。急いで夜行列車に飛び乗って母のもとへ急ぐ茂吉。家に着くと、母は今にも息絶えようとしていました。悲しみに涙をこらえる茂吉が天井の方を見上げると、暗い農家の屋根の梁に、のど赤い2羽のツバメが止まっていました。ツバメは、そこから、じっと下の様子を見ています。ああ、こんな中で、私の母は、今、死んでゆこうとしているのだ、と心の中で母への思いをかみしめる茂吉なのでした。
 たった31音からなる短歌。その言葉で表現される短歌の世界。愛する母を亡くそうとして悲しみにふける茂吉と、ただじっとたたずむ2羽のツバメ。その対称的な情景が目に浮かぶようです。

 ツバメが巣を作ると幸運が舞い込むと言います。今、必死に巣作りに励むツバメたちを、そっと見守りたいと思います。

表郷三山(LIVE No.5より)

 「表郷三山」と呼ばれるものが、実際にあるのかどうかは確かめておりません。ただ、私が個人的に、そう名付けました。

 私が考えた、「表郷三山」は、次の三山です。

 建鉾山(たてほこやま) 標高403m 表郷高木三森地区
 天狗山(てんぐやま)  標高625m 表郷番沢地区
 関山(せきさん)    標高619m 白河市関辺

 これらの山々は、私の通勤途中、社川を渡る辺りで、三方向に同時に眺めることができるのです。その中で、正面にどんとそびえるのが、天狗山です。以前、11月下旬に、日本一遅い山開きをする山として有名でした。片道約1時間の登山コースも、聞いたところ、今は4つのコースが存在するそうです。なかなか登りがいのある、表郷地区を代表する山だと思います。
 天狗山から左の方へ目を移すと、少し遠くに、きれいな円錐形の形をした山が見えます。それが、建鉾山(武鉾山)です。この山には、日本書紀にも登場する日本武尊(やまとたける)の伝説があります。そして、この山からは、勾玉や剣などの祭祀に使ったと思われる遺物も多数出土しています。そして、この山の頂上からは、表郷地区の田園風景が眼下に広がり、私が登った春は、田植えの時期で、一面青々とした緑一色の美しい風景を眺めることができました。きっと、秋には黄金色の稲穂が風に揺れる景色になるのだろうと想像しました。
 そして、最後は、表郷小学校の校歌にも登場する関山です。かなり昔は、表郷小学校では、関山まで遠足で登ったそうです。この関山の最大の売りは、なんと頂上から「富士山」が見えることです。私は3回登って、まだ一度も見えませんが、いずれ見てみたいと思っています。それから、この関山には、松尾芭蕉も登ったと言い伝えられているそうです。

 表郷三山ではないのですが、表郷小学校の校歌には、「那須連峰」も登場します。天気がよければ、きれいな山並みが眺められます。白河には、日本最古の公園と言われる南湖公園があります。その南湖公園を築いた松平定信は、造園する際、遠くにそびえる那須連峰を、南湖公園の借景としたそうです。借景とは、日本庭園における様式で、背後の美しい山並みなどを、庭園の背景として扱う技法です。南湖の湖面のその奥に、那須連邦の山並みが見える様は、ずっと眺めていられる景色です。

脚下照顧(LIVE No.5より)

 脚下照顧(きゃっかしょうこ)と読みます。

 これは、もともと、仏教用語で、禅寺などの玄関先に、この札が掲げられているのを見かけます。直接の意味は、「脚(足)下を照らして、我を顧(かえり)みる」。今、自分が脱いだ履き物を振り返り見て、自分の心の有り様を知る。そこから、脱いだ履き物をそろえることを示しています。子どもたちの中には、この脚下照顧を実践している子どもたちがいます。私は、校舎内を回りながら、トイレのサンダルも見ています。すると、いつもトイレのサンダルがきちんとそろっているところがあるんです。自分が履いたサンダルをそろえる。もし、他に乱れているサンダルがあったら、一緒にそろえる。そういう行動がとれる子どもたちがいるということです。きっと、その子にとっては、当たり前のように履き物をそろえているのだと思います。そういうことができる子どもたちが、表郷小学校にいるんだなあと思うと、とてもうれしくなります。

 学校文化には、この「脚下照顧」と似たような言葉が他にもあります。それは、「机の乱れは、心の乱れ」です。休み時間に遊びに行く時や次の学習のため教室を移動する時、さっきまで自分が使っていた机を振り返って見てみる。その時、机の上に鉛筆や教科書などが出しっぱなしになっていたり、椅子がきちんとしまってなかったりします。そういう状態が「机の乱れは、心の乱れ」です。つまり、使った物がきちんと仕舞えてない乱れた状態は、今の自分の心の乱れを表している、というものです。

 靴を脱いだ時、トイレのサンダルを脱いだ時、くつやサンダルをそろえながら、自分の心も整える。席を立つ時、学用品や椅子をしまいながら、自分の心を整える。私たちの所作、動作、取り組む姿勢などは、全て、そういう行為を行う気持ちが反映しているものです。だから、くつや机などの目に見える物の状態から、目に見えない気持ちを察するのです。

 私たちの普段の生活においても、今述べたようなことを感じる時があります。例えば、忙しくて、なかなか部屋の片付けができていない時などは、何か落ち着かず、生活もがさがさしがちです。やろうとすることもうまくいかず、ちょっとイライラしたりします。しかし、逆に、部屋を片付けて、きれいに掃除した時は、気分もすっきりし、心に余裕も生まれ、なぜか前向きに頑張ろうという気持ちになります。日々の生活は、次々にやることがあって、忙しいものです。しかし、その中にあっても、ちょっと身の回りを整えて、心を整えて、一息つく時間を持つことも大事なのかもしれません。