表郷小学校

脚下照顧(LIVE No.5より)

 脚下照顧(きゃっかしょうこ)と読みます。

 これは、もともと、仏教用語で、禅寺などの玄関先に、この札が掲げられているのを見かけます。直接の意味は、「脚(足)下を照らして、我を顧(かえり)みる」。今、自分が脱いだ履き物を振り返り見て、自分の心の有り様を知る。そこから、脱いだ履き物をそろえることを示しています。子どもたちの中には、この脚下照顧を実践している子どもたちがいます。私は、校舎内を回りながら、トイレのサンダルも見ています。すると、いつもトイレのサンダルがきちんとそろっているところがあるんです。自分が履いたサンダルをそろえる。もし、他に乱れているサンダルがあったら、一緒にそろえる。そういう行動がとれる子どもたちがいるということです。きっと、その子にとっては、当たり前のように履き物をそろえているのだと思います。そういうことができる子どもたちが、表郷小学校にいるんだなあと思うと、とてもうれしくなります。

 学校文化には、この「脚下照顧」と似たような言葉が他にもあります。それは、「机の乱れは、心の乱れ」です。休み時間に遊びに行く時や次の学習のため教室を移動する時、さっきまで自分が使っていた机を振り返って見てみる。その時、机の上に鉛筆や教科書などが出しっぱなしになっていたり、椅子がきちんとしまってなかったりします。そういう状態が「机の乱れは、心の乱れ」です。つまり、使った物がきちんと仕舞えてない乱れた状態は、今の自分の心の乱れを表している、というものです。

 靴を脱いだ時、トイレのサンダルを脱いだ時、くつやサンダルをそろえながら、自分の心も整える。席を立つ時、学用品や椅子をしまいながら、自分の心を整える。私たちの所作、動作、取り組む姿勢などは、全て、そういう行為を行う気持ちが反映しているものです。だから、くつや机などの目に見える物の状態から、目に見えない気持ちを察するのです。

 私たちの普段の生活においても、今述べたようなことを感じる時があります。例えば、忙しくて、なかなか部屋の片付けができていない時などは、何か落ち着かず、生活もがさがさしがちです。やろうとすることもうまくいかず、ちょっとイライラしたりします。しかし、逆に、部屋を片付けて、きれいに掃除した時は、気分もすっきりし、心に余裕も生まれ、なぜか前向きに頑張ろうという気持ちになります。日々の生活は、次々にやることがあって、忙しいものです。しかし、その中にあっても、ちょっと身の回りを整えて、心を整えて、一息つく時間を持つことも大事なのかもしれません。