「気づく」「考える」「実行する」「振り返る」子ども

2018年3月の記事一覧

心配・うーん 3.11を忘れない

今日の朝の会において、東日本大震災の追悼の意をこめて次のように芝居仕立てでお話をしました。

3月31日の、信夫家のできごとです。お父さんと子どもたち(今日の朝に6年生に頼みました)が、東日本大震災のことについて

話し合っています。

父「東日本大震災から今日で、丸7年が経ったね。○○ちゃんは、どんな地震だったか覚えているかな?」

子「お父さん、忘れちゃだめだよ。わたしが、○才のときで、○○にいたんだよ。○○○○○(自分の思い出を話す)だったことを覚えているよ。」

※それぞれが発表しました。

父「あのとき、お父さんはテレビ局にいたんだ。映像があるから見て思い出してみよう。」

 (インターネットで、地震の様子の動画を見ました)

 

子「うわー。とてもこわかったね。長い時間、ゆれていたんだね。」

父「でも、本当にこわかったことが起こったのは、この後のことなんだよ。」

子「津波だね!」

父「そうそう、そのとおり。津波の映像を見て、そのこわさをみてみよう。」

(インターネットで、津波の様子の動画を見ました)

子「お父さん、津波って本当におそろしいね。」

父「全くだ。今でも信じられないくらいだからね。」

子「こんなに被害が大きかったら、きっと、たくさんの人が、命を落としてしまっただろうな。」

父「そうそう、そのとおり。新聞記事をみてみよう。」

 (新聞記事から、被災者の多さにふれました)

 子「本当に、多くの人が、命を落としてしまったんだね。このことを私たちは、忘れてはいけないね。みんなで、めいふくを、いのろうよ。」

父「そうそう、そのとおり。」

(全員で、10秒程度 もくとうをしました)

子「お父さん、津波でもっと大変なことが、福島県で起きたことも忘れちゃだめだよ!」

父「そうそう、そのとおり。」

子「東京電力 福島第一 原子力発電所の事故のことだよ。」

父「そうそう、そのとおり。」

子「原子力発電所が、津波をかぶって、その後、水素爆発を起こして、大量の放射性物質が、空気中に流れ出たんだ!」

父「そうそう、そのとおり。」

子「この事故によって、原子力発電所の近くの人は、自分の家に住めなくなって、福島県外に避難する人がたくさん出たんだ!」

父「そうそう、そのとおり。」

子「今でも、自分の家や土地にもどれない人がいるなんて、本当に悲しいね。でも、だんだんと、放射線量は減ってきているんだよね?」

父「そうそう、そのとおり。新聞記事をみてみよう。」

(新聞記事から、空間線量が減少していることを確かめました)

子「でも、この事故は、日本中、いや世界中に、“フクシマ”という言葉とともに広まって、福島県に来る人や、福島県で作った食べ物を買う人が、減っているんだよ!」

父「そうそう、そのとおり。」

子「本当はもう、影響はないのに、売れないことを、“風評被害”って言うんだよ。」

父「そうそう、そのとおり。」

子「お父さん、でも、ぼくたち負けないよ。ここはぼくたちのふるさと。このふるさとをもっと元気にするんだ!」

父「そうそう、そのとおり。」

子「お父さん、ここに、青少年赤十字作品募集 詩・100文字提案の社長賞を受賞した作文があるよ。」

父「どれどれ、読んでみて。」

 (6年生が、作文を読みました)

 須賀川市立阿武隈小学校4年児童の作品

 「福島・日本・世界のために わたしがしたいこと、できること」

”フクシマ”はきらいです。カタカナで書くと、放射能でよごれているようです。

ぼくが住んでいるのは、”福島”です。山も川も鳥も虫もぼくも、元気です。

学校も楽しい。こんな福島のことを見てもらいです。

 

父「いい作文だね。これから、みんなが、ふるさと福島、ふるさと白河、ふるさと大信を、もっともっと元気にしていこうね。」

子「ぜったい、そうするよ!」

父・子「わっはっはっは。」

 

こうして、信夫家は、東日本大震災のことを、決して忘れないのでありました。

にっこり 私がやらなくて他にだれがやる

2月26日(月)の朝の会で校長から次のようなお話をしました。

某自動車メーカーのテレビCMで、「○○がやらなくて 他に誰がやる」というキャッチコピーがありますが、

「○○」を「私」に置き換えてみると、「私がやらなくて 他に誰がやる」となります。

意味としては、「私以外にやる人はいない」という強い責任感が込められたものになります。

この日の朝、登校途中の歩道で、レジ袋に入ったごみを拾って学校まで持ってきた班長(5年生)がいました。

きっと、そのとき、「私がやらなくて 他に誰がやる」という気持ちで拾ったことでしょう。

なかなかできることではありません。素晴らしい行いです。

現実的には、「が」 が 「か」と濁点が取れてしまい、

「私がやらなくて 他に誰  やる」というように、無関心、無責任でいることが多いかもしれません。

ごみを見ても、無関心。困っている人を見ても知らんふり。

これも「人道」の敵ですね。濁点が取れないよう、普段から心がけたいものです。