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219校長室の【五】録(昭和は遠く)
2025年7月30日 13時45分前稿に係る、私的なサイドストーリー。
(以下、長いので、ご覚悟を。)
◆◆◆
数字の「一」は、なぁ~に?
そこで薫陶を受けた小学生時代に戻る。
この長寿院は、メインの遊び場だった。
ドラえもんの世界観で例えるなら、
あの土管がある「空き地」的な場所だ。
普段から、近隣の子どもたちが集まり
絆を深めつつ、「文化」が伝承された。
昔をことさらに美化するつもりはないが、
年齢の上下の関係で、程よく鍛えられ、
豊かに育まれた恩恵は忘れていない。
「文化」(=遊び)の代表格は、野球だ。
野球(ソフトボール)ばかりやっていた。
本堂の前がホームベース。
慰霊碑がある石柱に囲まれた高い場所は、
(石柱の囲いは、大震災で倒れたままだ。)
「レフトスタンド」に相当した。
そこに入ったら、ホームラン(笑)
当時、歴史的な意味は全く理解せずに、
官軍(=新政府軍)という言葉の響き、
カタカナ「カングン」の名称だった。
それも先輩達からの言い伝えである。
使用球は、軟球やソフトボール、
ふにゃふにゃしたボール、いろいろだ。
遊ぶメンバーによって使い分けた。
6年生とあの場所にいながら、
昔を思い出していた。
見学途中で、副住職に会ったのも
思考スイッチのきっかけとなったか。
副住職は、弟と同級生だ。
当然、歴代の遊びメンバーのひとり。
ついでに説明すると、
各藩の墓所は、ピッチング練習場所。
燈篭で挟んだスペースがブルペンだ。
鮮明に思い出しては苦笑い。
「罰当たり」のオンパレードなのだが、
古き良き「昭和」の子ども文化として
お許し願いたい。
極めつけのネタを披露する。
「慰霊碑」は、挑戦する場だった。
あの石碑の台上に登ることができれば
「一人前」として認められた。
だから、みんな、果敢に挑戦した。
石階段を上がった所から助走する。
台の下がえぐられた形状なので、
足をかける場所がない!
ジャンプして、腕の力で身体を引き上げ
最後に足をかけて這い上がる・・・。
できたときは、無上の喜びだった。
これも文化伝承の一つ。
父の世代は、その台上から
隣の樹木に飛び移ることが求められたと。
親父らは、さらに過激だったのだ(笑)
◆◆◆
ここまで、我慢強くお付き合いいただき
誠にありがとうございます。
子ども時代の文化、
当時の「界隈」にしか通用しないコト、
それらをアツく語ると、
気持ちが少し、ほんわかしませんか?
また、
それを語り合うことができる仲間を
大切にしたいものですよね。
その心境の年代になりました、自分も。